株式会社八百八町 代表取締役社長 石井 誠二
1973年、居酒屋「つぼ八」を札幌で創業。8坪の店からスタートする。その後、急速に業績を伸ばし400店舗、売上500億円を達成し居酒屋ブームを生み「居酒屋の革命児」と呼ばれるが、紆余曲折の末、1987年10月に社長を退任した。1989年、(株)八百八町を創業。江戸の町をモチーフとした「八百八町」、江戸時代の農村の囲炉裏端をイメージした「かたりべ」、江戸時代の漁師小屋をイメージした「ひもの屋」の居酒屋3業態と、気軽なイタリアンレストランバー「グロットディアナ」を東京を中心に56店舗展開。
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これまでの私の人生は、失敗の連続でした。しかし、失敗を繰り返すうちに、自分の生き方ができ上がってきたように思います。世の中には2つの選択肢しかない。あの世とこの世、男性と女性、上と下、右と左、チャンスとピンチ、プラスとマイナスというように。辛いときは、「今はピンチのとき、だったらチャンスに切り替えてやろう」、楽しいときは、「今はチャンスのとき、次はきっとピンチがある」と常に考えています。こんなことを身につけられたのも、過去のさまざまな体験のおかげです。
私は若い頃、行商人の一員として北海道・旭川で働いていました。ここには年に1度、日本中からたくさんの行商人が集まり、各自が持ち寄ったものを物々交換したり、お客様に売ったりしていました。彼らは自分のお客様のために、お客様が求めているものを1年がかりで探し回り、それを持って北海道に来ます。しかし、商品を売って得たお金は持ち帰らず、商品を買ってくれた人の家で必ず何かを買って帰るようにしていました。なぜなら、現金は当時の田舎の人にとって貴重な存在。年に1~2度手にするもので、手放せば次はいつ入るかわからないという不確かなものだったからです。だから行商人は干し昆布などを買い、お客様にお金をもどしていたのです。購入するものは、現地の人にとってはあまり魅力のあるものではありませんでしたが、東京や大阪に持っていくとものすごい価値になり、買ったときの10倍くらいの値段がついたのです。
ここで私は「買い場発想」ということを勉強しました。行商人はお客様のために1年間日本国中を回り、懸命に品物を集める。それを買う人がいる、つまり、お金をくれるのは相手(自分のお客様)だということです。これが買い場発想です。
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25歳からは養鶏場に勤め、卵ではなく鶏肉をレストランやホテル、結婚式場の調理場に納品していました。しめたばかりの鶏は、肌の色がピンクで新鮮だったのでよく売れました。ところが価格の安い輸入品が入るようになり、やがて会社は倒産しました。
そこで食っていくために、自分で何かやろうと思い、30歳のときに食堂を開きました。食べ物商売なら、余り物を食うこともできると考えたからです。料理のほかに酒も付けました。
毎日、市場に魚を買いに行き、それを調理してお客様に提供する。すると、何かしらコメントをいただけます。「これはうまい」「うちの田舎では、こういう食べ方をする」「こういう魚もうまいよ」など。喜んでいただけた上にいろんなヒントを頂戴でき、しかも帰るときにはお金まで払ってくださる。「居酒屋は面白い商売だ」と思い、仕事にのめり込みました。
もっとお客様に感動していただこうと、8坪の店「つぼ八」をつくり、お客様の食べたいものを聞き出し、それに合わせて材料を買い、料理を作っては提供しました。すると、「あの店は、客のリクエストに応えてくれる」という評判が広がり、お客様はどんどん増えました。このとき決めたことは、「今日のものを明日売らない」でした。常にその日に仕入れたものを提供し、それが毎日売り切れるという状態でした。
そうこうするうちに第一次オイルショックとなり、ものの値段は2~3倍に高騰。にもかかわらず、当店ではお客様が増え、今までの5倍以上になりました。というのは、それまで会社の経費で飲み食いしていた人たちが、当店に流れて来たからです。毎日、開店前には入口に長蛇の列。これに対応するために、開店時間を1時間早め4時にオープンにしたほどです。あまりの増客に、向かいに40坪の2号店を開き、続いて3号店も出しました。おかげさまでどの店も繁盛し、創業から1年も経たないうちにクラウンの新車をキャッシュで買うことができ、1年半で1億円が貯まりました。
残念なことに、3号店は従業員の火の不始末により、閉店後に火事で燃えてしまいました。これが原因で従業員は意気消沈。そんな彼らを励ますために、私は毎日「札幌で一番になるぞ」とけしかけていました。最初はこの話に乗ってこなかった従業員ですが、そのうちにやる気になり、新たな目標に向かって皆で頑張りました。
札幌の中心部に新しい店舗物件を見つけてスタートしたところ、半年ほどで繁盛店となったことから、今度は「北海道一」をめざしました。この目標を達成する方法を考えるためにいろんな人に相談したところ、経営計画が必要といわれ、経営目標、経営理念等を盛り込んだ経営計画書をつくりました。1.フランチャイズ展開、2.直営、3.社員独立、という3つの経営方針を定め、10年計画でスタートしました。この計画もわずか5年で達成、念願の北海道一になることができたのです。これも社員のやる気とパワーのおかげ、会社の財産も自分の人生の財産も「人」だとつくづく思いました。
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こうしてやってくる間に思ったことは、人生は楽観主義でないといけないということ。目標を持ち、それに向かってガンガン突き進んでいく。そういう気があれば苦労を苦労とも思いません。問題にはすべて答えあり、後ろ向きの答えと左右どちらかに逃げる答え、前に進む答えの4つが用意されています。このとき、目標のない人は自分の中に最初から逃げがあるので、必ず後ろ向きの答えか、左右いずれかの答えを選択します。これではダメ、とにかく前に進むこと。歩みはのろくてもいいから、自分の目標にたどり着くこと。ダメと思わずあきらめないで挑戦していけば、必ずゴールにたどり着く、これが楽観主義の人生です。私は社員に「よい習慣を身につけろ」とよく言います。稼げる習慣、よい仕事ができる習慣を身につければ、よりよい人生が送れるからです。
何かをするとき人は結果を求めますが、結果には原因がある。原因の前には、それをつくった環境があります。つまり、自分が求める結果を思い描いて、それに合う環境を作っていけば、求めている結果が出てくるようないい原因ができるということです。たとえば、店の売上・利益を伸ばしたいと考えた場合、まずは店づくりに力を入れなければなりません。従業員にとってもお客様にとっても魅力ある店にするためには、どうしたらいいかと考える。新人教育もそのひとつであり、作業教育ではなく、躾教育を優先することです。躾とは身を美しくすること。採用した新人を、美しい姿に変えてあげることも先輩社員の役目です。
「ひもの屋」の合言葉のキーワードは、元気・笑顔・明るい・清潔・待たせない・おいしい・親切。お客様に愛される店であり、従業員にとっては楽しい職場であるためには、この8つが必要です。こうして環境づくりから始め、皆で一生懸命やれば、必ずその店の売上・利益は上がります。
当社には、社員の心得である「凡事徹底10か条」があります。これは八百八町を設立したときに私が作ったものですが、時代の移り変わりに伴い内容を見直し、社員が「新・凡事徹底10か条」をつくりました。これは、自分の人生を魅力ある豊かなものにしたいんだ。その為には八百八町が必要なんだ!と言う社員が増えて来た事は誠に喜ばしいことであります。この第一条の「自店の半径1キロ以内が自分の生存領域だ。『自分はこの場所でしか生きられない!』そう考えたとき、何がどこまでできるかだ。我が家にもてなす感覚を演出せよ」は私の作ったもの。これだけは昔と変わらず、今もそのまま生かされています。
当社が求めているのは、「独立心のある人」「志のある人」。現在、50店舗強を展開していますが、その半分以上が社員の独立店舗というのも、こんなところからきています。